「なぜtheLetterで毎日配信をするのか?」ー スポーツライター・田尻耕太郎さんに聞く、書き続けるための新しい執筆の形
theLetter ストーリーは、theLetter 上で活躍する書き手の方々に、メディア運営方法や活用の理由などを深掘りする公式ニュースレターのコーナーです。
スポーツライターの田尻耕太郎さんは theLetter を利用し「田尻耕太郎の鷹バン!」を運営しています。今回はtheLetterで圧倒的な配信量の裏にあるフリースポーツライターの葛藤と原動力について伺いました。

キャリアの分岐点となった独立
スポーツライターとして働き始めて24年が経ちました。テレビ局で報道記者をしていた父の影響で、普段は見えない世界の舞台裏を取材する仕事に興味を持ったことがきっかけでした。中学生の頃は野球部に所属し野球少年だった私は、成長痛で選手の道を断念。それでも野球好きの情熱は消えず、スポーツマスコミを志望するようになり、大学進学時はスポーツ新聞サークルのある法政大学を選びました。
入学すると、数々の華やかなサークルに勧誘されましたが、私は迷わず「スポーツ法政新聞」の部室へ直行し、入部届を出しました。もちろん、就職先もスポーツマスコミ業界の会社に数多く応募しました。
しかし、当時のスポーツマスコミ業界は競争が激しく、次々と不採用に。大学4年の夏になっても内定がもらえず、焦りが募っていました。そんなとき、書店の棚で目に入ったのが「月刊ホークス」という雑誌でした。ピンときた私は、すぐに問い合わせメールアドレスを見つけ、思いの丈を綴って送信。
後に聞いた話ですが、私が送った先は「定期購読の問い合わせ窓口」だったそうです。しかし、たまたま気づいた編集者が編集プロダクションへ転送してくれたことで、「月刊ホークス」を制作する編集プロダクションに就職が決まりました。
しかし、そこからも順風満帆とはいきませんでした。「月刊ホークス」の編集プロダクションが変わることになり、移籍。その後、移籍先が倒産——数年の間に職場環境は激しく変わっていきました。
2社目の倒産をきっかけに、再び移籍の話が浮上しました。悩んでいた私に、当時お世話になっていたフリーのカメラマンが何気なく「フリーの方が儲かるぞ」と言ったのです。今思えば、この一言がスポーツライターとしてのキャリアの分岐点となりました。もともと記者志望だったため、編集業の傍ら現場へ足を運ぶ機会も多かった。また、結婚もしておらず、挑戦するなら今しかない。そう考え、フリーライターとしての道を歩むことを決めたのです。
スポーツマスコミ業界の変化とフリーライターの不安
2005年、福岡ダイエーホークスが福岡ソフトバンクホークスへと変わりました。ちょうどその頃、私は独立したばかりで、タイミングとしては最高でした。
当時はまだSNSが存在せず、インターネットも「怪しい」と思われる時代。情報発信の主流は新聞やテレビといったマスメディアで、球団や選手に関するニュースは基本的に記者を通して届けられていました。そんな中、ソフトバンクにはYahoo!という、いまでいうオウンドメディアの基盤があり、球団が自ら情報発信をしようとする動きが出はじめていました。その時、「月刊ホークスの田尻がフリーになったらしい」と知った広報部長から声をかけていただき、オフィシャルライターとして活動をスタートしました。
オフィシャルライターとしての経験は貴重でした。一般のメディアが入れないエリアに立ち入ったり、ベンチで選手と共に試合を見たり、さまざまなメディア関係者とつながる機会を得たり——。そのおかげで、フリーのスポーツライターとして軌道に乗ることができました。

そうして多忙な日々を過ごす中で、業界の変化も少しずつ感じるようになりました。特に影響が大きかったのは、デジタルメディアの台頭です。原稿料の高い紙媒体の仕事は減少し、ウェブメディアが主流に。ウェブメディアの単価は紙媒体の3分の1ほどになるので、結果として収入を維持するためには「量で勝負する」ことが求められるようになりました。
さらに、マスメディア自体の勢いも衰えつつあります。20年前は珍しかったオウンドメディアが急速に発達し、球団や選手がYouTubeやInstagramを活用して、独自に情報を発信する時代になりました。もちろん、マスメディアでなければできない取材や報道もありますが、「できるものは自前で」という流れが強まっています。そうなると、私たちフリーライターは、大手メディアだけでなく、球団のオウンドメディアとも競争しなければなりません。そんな状況を前にすると、自然と背筋が伸びる思いがします。
また、スポーツライターとしてのキャリアを考えたときに避けられないのが「年齢の壁」です。若さがネックになって苦労したこともありましたが、今では取材対象の選手のほとんどが年下に。長年現場にいたことで顔見知りも多く、取材はしやすい環境ですが、これからさらに年齢差が広がっていきます。20代の選手と何を話せばいいのか? 取材のスタイルをどう変えていくべきか? そんな不安が、ふと頭をよぎります。
そうした迷いや不安を抱えながら、2021年にtheLetter で記事の配信を始めました。理由は、大量のインプットがあるにもかかわらず、それをアウトプットする場が不足していたからです。
theLetterでほぼ毎日記事を配信する理由
私は、もともと「番記者スタイル」と呼ばれる、現場に密着する取材手法をとっています。シーズンオフであっても、ほぼ一年中、現場に足を運び、膨大な量のインプットを得ていました。

取材中の田尻耕太郎さん
しかし、アウトプットの機会は基本的に依頼があってはじめて生まれるため、その回数は限られます。そして必ずしも収益につながるとも限りません。私はYahoo!ニュースのエキスパートとして記事を執筆していますが、原稿料はPV数に左右される仕組みのため、こだわって書いた記事ほど読まれにくく、場合によっては記事単価が“バイトの時給”程度なこともあります。
「書いても読まれないかもしれない」「読まれなければ収入にならない」——このままではいけないと考え、新たなアウトプットの場を探していたのです。theLetterは、自分のメディアとして、いつでも、どれだけでも配信できる。執筆内容も完全に自由で文字数の制限もない。この環境は、インプットが大量にある私にとって大きな魅力でした。
私はプロの物書きですから、有料配信を前提に考えていました。フリーライターは想像以上に多くの経費を自己負担しなければならない仕事です。新聞社の社員であれば、選手や球団関係者との会食費は会社の経費で賄えますが、私のようなフリーライターはすべて自己負担。若い頃は、同じようなアプローチをとる余裕がなかったため、とにかく球場に通い、顔を覚えてもらうことで信頼関係を築いてきました。キャンプ取材も当然ながら自費。取材を続けるには、それなりの準備が必要です。
とはいえ、有料化が進む経済メディアに対してスポーツメディアはまだまだ無料で情報を提供するのが主流です。「果たして、有料購読してくれる気前のいい人なんているのだろうか?」という不安は、正直、ありました。
しかし、野球は毎試合数万人の観客を集める大規模な興行であり、マニアックな志向を持つファンも数多く存在します。確かにメジャースポーツゆえに多くのメディアがありますが、24年間、現場に入り込んできた私だからこそ伝えられる話がある。その独自性には、一定のニーズがあるはずだと考えました。
実際に、今ではtheLetterが収入の柱のひとつになっています。私はほぼ毎日記事を配信しており、その頻度は、他の書き手の方に比べても圧倒的に多いそうです。なぜここまで書くのか? それは意外と単純な理由で、スポーツ新聞が毎日記事を出しているからです。
この業界で勝とうと思ったら、やるしかない。考え方は古風かもしれませんが、「試合で勝ちたいなら、人の倍練習しろ」と同じ論理ですね。でも、それができるくらいのインプットがありますし、月額課金の単価を下げると安売り合戦になり、価値をつけなければ業界はいずれ崩壊してしまうでしょう。だからこそ、質と量の両面で読者に満足してもらえるよう、私はほぼ毎日書き続けています。
目標の購読者数にはあと少しというところですが、収入面と同じくらい大きな手応えを感じていることがあります。
たとえば、「記事を発表する場がある」という安心感が取材への意識を変えたこと。書く前提で現場に立つと、選手の何気ない表情や言葉にも敏感になり、取材の一つひとつがより充実したものになっていきます。そして、ライターのスキルは、書き続けることでしか磨かれません。野球選手が毎日バットを振り続けるように、私たちライターも「書き続けること」が何より大切です。その環境を、自分の手でつくれたこと。それは、思っていた以上に大きな意味を持ちました。
後編:「 PV重視の記事執筆から脱却し、「書きたい」記事で収益をあげるには? ―スポーツライター・田尻耕太郎さんに聞く、「無料記事が当たり前」の業界の壁を超えるtheLetter活用法」に続く
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